制作に必要なこと
毎日新聞の人生相談のコーナーで、芸術についての高橋源一郎さんの言葉が気になった。
若さを、美しさを、健康を、感覚の鋭さを、あなたは失ってゆくでしょう。では、それは、耐えられない苦しみしか生まないのでしょうか。そうではないことをあなたは知っているはずですね。なぜなら、あなたが従事している「芸術」という営みは、「失う」ことが苦しみだけではないことを、人間に伝えるために存在しているからです。
一枚の絵、一つの曲、一篇(いっぺん)の詩、一冊の小説、どれも作り手たちが、何かを失うこととひきかえに作り出されたものばかりです。喝采を受けず、冷たく無視されても、作り手たちは後悔しないでしょう。なぜなら、作り出すこと自体が、彼ら自身への幸せな贈り物でもあることを知っているからです。あなたもまた、ずっと前からその世界の住人だったではありませんか。
制作の動機にも、正の感情と負の感情がある。
何かを伝えたくてたまらなくて表現する場合も、なんだか分からないけれどつくりたい場合も、つくらなくてはならない場合も、認めてほしくてつくる場合も。
失うことは、何かを生み出す種になる。生み出すことそのものに幸福を感じるわたしたちは、失うことさえ利用できる。
失恋は制作の種になる。芸術はそのために存在している。悲しみや苦しみを消化する、つまりストレスを受けた場合の対応行動の昇華にあたる。もしくは遊び、暇つぶし。
制作への没頭は逃避にもちょうどいい。
制作は時間を食う。
孤独と相性がいい。
制作には制作を促す刺激が必要だ。
制作に必要なもの、感情の揺れと孤独の時間
でも、それだけではない、かもしれない。
何かを見たいのだとおもう。
素材と自分がまじりあってできる何かだろうか。
そして、それとは真逆に行われる制作がある。
毎日淡々とつくり続ける。
民藝の窯元にお邪魔したとき、最初は滅私に努め大きな本流を泳ぐ力つけることが大切だと思っている、とお聞きした。
夫婦喧嘩を朝するだけでろくろに出てしまうとも仰っていた。
制作者のうつわではなくその土地のうつわをつくるという意志、生活雑器だから使ってもらえないと意味がないと言いきる強さ。
じぶんはどちらに進めるだろう。
その間はあるのだろうか。
制作指針みたいなもの、芯が、これから長くつくり続けるには必要かもしれない。
おおらかでやわらかく、しなやかに、包みこむようなものをつくりたいわたしは、大分ぼんやりしているのだろうな。