行く道をつくる

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日本の陶芸には、いくつかの分野があるらしい。

長らくは伝統工芸や茶陶が重要視され、その後にオブジェ、民藝、そして最近では生活工芸やクラフトが主流となりつつあるのかもしれない。

 

年月を背負った高度で高価な美術品ではなく、それを破った無用のものではなく、名も知れぬひとがつくった用の美でもなく、ある人物がつくった背景や物語のあるうつわ。実用的でありながら美しさと個性を持ち、ひとびとの生活に潤いをもたらすもの。最近の社会の流れと一致しているように感じる。

 

陶芸のいいなと思うところは、ひとのなかに実在するものであるということだ。

 

そこにあって、手にとれ口をつけ、身体を通してあそべるところ。

 

 

でも今は、オブジェと呼ばれるものにも取り組んでいる。

 

料理を盛ることやお酒をのむこと、花を生けることができるうつわは、できあがったそのものに対して価値がある。

 

オブジェは、美しさや見たことのないものというそのものの価値もあるけれど、過程が大切なのかもしれない、とぼやーっと感じる。

 

つくっているひとが何に関して面白さを感じているのか、興味を持ち、静かに熱く制作しているのか。

 

ほんとうに何もないところから何かを作り上げるのはとても力が必要で、それがこの世に実在していて欲しいという欲望が必要だ。

でもそんなのをするんとすり抜ける、過程への集中が制作を進めているのではないか。

 

オブジェは誰かのためでなく、自分のためにつくられているのかもしれない。

 

 

陶芸の道に進む前、よくどうして陶芸かと聞かれたが、特に確固たる理由はなかった。

陶芸をしている無の瞬間がすきだからと言ったら(無と感じているだけかもしれないが)、馬鹿にされたことがあった。

 

おかしなことかもしれないが、ほんとうのことだったので悲しく悔しかった。

 

何かに没頭している時間が自分にとっての生きている時間(生きていると実感している時)だというのは矛盾しているのだろうか。嘘だろうか。

 

職人はもう生き残れないと言われる。

自分の行く道をつくらなければならない。